1974年に起こった出来事をまとめてみました。会話のネタに使って下さい。
インドが初の地下核実験を実施
この実験のコードネームは「微笑むブッダ」と呼ばれています。
この時、国際社会からは最貧国の核武装として注目を浴びたようです。
また核実験を行ったことでインドが非難されました。
ただ、インドはこの実験は核爆発では無く、核爆破だという禅問答のような反論をしました。潔い開き直りっぷりw
当時、隣国の中国が核を保有していたのでインドも国防上核武装したと国際社会は考えていました。
しかし、インドは地峡を爆破し、運河を通すために核を使用したと主張しました。なので平和利用であり、軍事目的では無いと。
実際、核爆破をさせた装置も30tと超え、航空機は空軍機でも運搬できないサイズだったので国際社会もその主張を認め、非難の声は比較的短期間に収まったようです。
ニクソン大統領辞任
当時、共和党のニクソン大統領は中国、ソ連との国際関係を改善し、ニクソンショックも乗り切り、ベトナム戦争を終結させ華々しい成果をあげている最中でした。
なので1972年の大統領戦も勝利するだろうと言われていました。しかし、再選確実と言われていた中、流行の忖度が発生。民主党本部に盗聴器をしかけて動向を探ろう!!というマヌケ5人組みが現れました。
そして、民主党本部のあるウォーターゲートビルに忍び込み、呆気なく逮捕されたのがこのニクソン引退のきっかけでした。
ニクソン陣営はこのマヌケ5人組との関係を揉み消そうとホワイトハウスで隠蔽工作をしました。しかし、ホワイトハウスは会話がテープに録音される仕組み。テープを裁判で提出しなさい!と検事がニクソンに要求しました。
しかし、ニクソンは大統領の権限でそれを拒否。その検事を解任させるよう司法長官に要求。しかし、司法長官はその要求を拒否し、辞任。
次いでニクソンは司法副長官に要求。副長官も拒否し、辞任。困ったニクソンはNo3の訟務長官に要求。訟務長官は拒否できず検事を解任しました。
しかし、このニクソンの要求が大統領のする事では無い!!こんな事をする人間は大統領の器じゃない!!と炎上。
結果ニクソンが引退する事になりました。これが世に言うウォーターゲート事件です。
テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放送
リアルタイムで視聴していなかった人でも名前は知っているという抜群の知名度を誇るアニメ番組ではないでしょうか。これほど有名なので、当時の視聴率も高かったのかと思いきや平均7%台でした。また、裏番組の『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』に視聴者を取られ、最終的には39話予定していたのを26話で終了。
放送当時はあまり人気のあるアニメでは無かったのです。しかし、再放送で人気に火がつき関東地区では20%を超える視聴率を誇りました。
その後、ヤマトの社会現象が起こり、同人誌販売でも今までの少女コミック中心から
現在のようなアニメサークルが誕生していきました。
また、ガンダム、マクロス、エヴァというアニメブームの火付け役となりました。
特にエヴァの監督でもある庵野秀明はヤマトが無ければ今の自分はいなかったと言っているほどです。そうなるとシン・ゴジラも無かったわけです。
そう考えると、現在まで続く日本のカルチャーの一部分を生み出したという点でヤマトは偉大なアニメですね。
巨人の長嶋茂雄選手が引退。
引退セレモニーのスピーチで長嶋選手が言った「我が巨人軍は永久に不滅です」はあまりに有名ですよね。全国でこのセリフを真似たり、もじったりした人がいると思います。
そんな長嶋選手、小さい頃は実は千葉出身者ではめずらしく阪神ファンだったそうです。大阪タイガースの藤村富美男選手のプレーに魅了され野球選手を目指すようになります。そして、大学時代では「立教三羽烏」と呼ばれ活躍していました。プロ入りは多くの球団がオファーしていましたが、当初は南海ホークスが本命と言われていました。
しかし、読売ジャイアンツが長嶋選手の親元を訪れ、説得。ご両親がせめて在京の球団にして欲しいと長嶋選手に言ったことから読売ジャイアンツ入団に決定されました。
そこから、多くの方が熱狂した長嶋選手の活躍が始まります。そして「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献されました。
そんな長嶋選手も1974年に引退。巨人のV10が消え、中日の優勝が決まった日に引退を発表。ニュースは長嶋選手の引退報道ばかりで中日優勝はあまりインパクトを残せませんでした。それだけ、長嶋選手の引退を日本中が悲しんだという事なのでしょう。
さすが、ミスター。2013年には国民栄誉賞を受賞されています。
田中角栄首相が退陣表明
「コンピュータ付きブルドーザー」・「今太閤」こと田中角栄元総理が退院発表をしたのは1974年でした。田中角栄元総理の最大の功績は日中国交正常化だと思います。
吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作と名だたる戦後の総理が実現できなかったことを田中角栄はやってのけました。これにはアメリカと中国の関係が大きく影響していますが。
田中角栄が首相に就任した当時は佐藤内閣の閉塞した空気感を打開してくれるだろうという期待感から支持率は60%を超えていました。
しかし、1974年に発売された『文藝春秋』11月号で田中角栄に関する特集が組まれ、立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」が国民の目にさらわれた事で支持率が急落しまいた。就任後わずか2年後の出来事です。
田中角栄はお金を用いての人身掌握術に非常に長けた政治家でした。そして、そのお金の出所を暴いたのが「田中角栄研究―その金脈と人脈」です。田中角栄元総理は土木業の出身です。なので土地の売買の仕方などを心得でいたのでしょう。土地を安く買い、
高く売るという土地転がしで財を形成していました。
そして、その事が明るみになると国民からの支持率は急落。20%台まで落ちてしまいました。その事が原因で田中角栄元総理は辞任しまいた。引退前に日本国内で当時の米大統領、フォード大統領と会談をしています。(現職米大統領初の訪日。)
土地と金の問題はいつの時代も政権の基盤に大きな影響を与えるのですね。