ど~も徳ろうです。
久しぶりの投稿になります。先週はFP2級の勉強に励んでいました。
この日曜に受験してきました。
自己採点の結果、何とか合格していそうです。
3級受験は結婚に伴い、小遣い制を回避するために取得しました。
しかし、その受験がきっかけで資格取得に楽しさを見出しました。
私は現在、営業職で働いています。なので、数字で評価されるところが大きなウェイトを占めますが、内勤業務や上司や営業所員との関係など数字で表れない箇所での評価もあります。
そのような評価に社会人になり、慣れてくると、結果のみ!!忖度なし!!
という非常にシンプルな評価が、逆に楽しくて資格取得が面白いと感じました。
なので、せっかくなら2級も取得したくなり、受験しました。
このまま、いけるところまで挑戦したいです。次は1級を狙います。
そして、最終的には他の狙っている資格も取得して、それを活かした仕事がしたいです。
ここで、本題ですが、
夢は持つべきか?持たざるべきか?
2級の勉強のモチベーションを高めるために、意識高い系の動画を見ていたのですが、その中で、タモリさんが夢を持つ生き方を否定するという動画を見ました。
タモリさん曰く
「夢があるようじゃ人間終わりだね」
え~~~~~~!!!
夢を持って邁進している人がカッコいいというシンプルな価値観を持ち、生きてきたので、衝撃を受けました。
そんな意見もあるのだと。
タモリさん曰く、
向上心がある人とない人を、「今日が明日のためにある」「今日が今日のためにある」とそれぞれ区別。
「向上心イコール邪念ということだよね」と言い切っている。
また、「夢があるようじゃ人間終わりだね」とバッサリ。
「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と指摘。
そうした人生を「悲劇的な生き方」と断言した。
一芸を成し遂げた人は、何かに夢中になっていただけのことだという。「そういう人たちは夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね」と鋭く批評。
確かに、「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」
という箇所で共感できるところもある。
夢や目標が達成された瞬間が一番楽しいとしたら、それまでの時期はそれ以下でしか楽しさを感じらない。
なので、楽しさの感じ方は、夢の達成時>達成までの期間となります。
それでも、達成するまでに自分の何かしらの変化を感じられたら、やりがいや楽しさに繋がっていきます。
なので、達成される前の期間が全くの無意味とは私は思わないです。
ただ、タモリさんの意見は私が想定するより多くの含蓄があると思うので、単純に夢を否定しているのでは無いのでしょう。
最後に「一芸を成し遂げた人は、何かに夢中になっていただけのこと。」と言われていますが、夢中という言葉があります。
要は【人間は夢を持たねばならない】という様な風潮に対してのアンチテーゼで、夢を持っていなからといって、【夢を持ちたいから持った物は夢じゃない】という事なのでしょうか。
自分の事をきちんと見つめて、好きだと思う事と真摯に向き合って、夢中になる。
そういった事で初めて夢を持てるのでしょう。
夢を持ちたいから、夢を持つ。こういった事では無いのです。
タモリ先生の言いたい事を理解するのは相当難しいですが、夢中になれる物を持って、良い人生を送りたいものです。